娘と二人、スコットランドはエジンバラへのプチ旅行。
エジンバラの中世時代の建物や雰囲気が色濃く残るロイヤル・マイルは、エジンバラ城とホリールード・ハウス宮殿を繋ぐ歴史ある古い道です。
今回はその一方の端にあるホリールード・ハウス宮殿に、スコットランド女王メアリー(通称メアリー クィーン・オブ・スコッツ)のかつて住んでいた部屋を見学に訪れました。
メアリークィーン・オブ・スコッツは、エリザベス1世の暗殺計画に関与して処刑されたスコットランド女王です。
Contents :
メアリー クィーン・オブ・スコッツの部屋

ホリールード・ハウス宮殿の前身は、12世紀に建てられた寺院でした。
15世紀になりスコットランド国王ジェームス4世(メアリーの祖父)が宮殿を建立。依頼王家の住居として使用されてきました。

現在は、国王チャールズ3世が、公式行事の際には必ず滞在する現役のオフィシャル・レジデンスとなっています。(よって、内部撮影は禁止)

ある場所から狭い階段(写真の奥の右側の出入り口)を上っていくと、メアリー クィーン・オブ・スコッツの部屋があります。
HPの写真で見ると広く見えますが、実際にはそんなに大きな部屋ではありませんでした。
メアリー クィーン・オブ・スコッツがかつてここに暮らしていたという歴史を感じながら、この部屋でちょっぴり長めに過ごしました。

とても美人だったといわれるメアリー クィーン・オブ・スコッツ。
彼女は、生後6か月で父がイギリスとの戦で亡くなり女王になりました。5歳でフランスの宮廷に送られ、15歳でフランスの王太子フランソワ2世と結婚し、やがてフランス王妃となりました。ところが、2年半後国王が死亡してしまったため、スコットランドに戻されたのでした。18歳でした。
女王のお気に入り秘書リッツィオ惨殺事件
メアリー クィーン・オブ・スコッツの人生は、実に波乱万丈です。
彼女がこのホリールード・ハウス宮殿にいる時、凄惨な殺人事件が起こりました。
ある日、いつものように女王と侍女たち、そしてお気に入りのイタリア人の男性私設秘書リッツィオ(映画ではゲイに描かれている)が寝室横の部屋(上の写真で奥の左側の小さな部屋)で食事をしていました。すると、食事室の隣りにある狭い階段(観光客が使う階段と同じ)から夫と数人の男たちが部屋に押し入り、リッツィオを連れ出し、彼に切りかかったのです。

リッツィオは助けを求めてメアリーのドレスの裾にしがみつきました。助けようとするメアリーを夫のダーンリー卿は羽交い絞めにし、メアリーの行動を制しました。
リッツィオは男たちにメッタ刺しにされ、やがて息絶えました。刺し傷の跡は56か所もあったと言われています。男らは彼の遺体をメアリーの部屋から引きずり出すと、隣りの部屋の床の上に放置し去っていきました。
リッツィオの遺体が置かれた場所は、遺体から出る大量の出血が床板に染み込み、どれだけ洗浄しても血痕が消えることはありませんでした。
リッツィオ殺害の動機は、夫ダーンリー卿のリッツィオに対する嫉妬だと言われています。
ホリールード・ハウス宮殿に行くと、その血痕の跡を見ることが出来ます。私も見学の目的のひとつであったその血痕が染みた床を見ました。
ところが、、、じっと血痕を見ていると、色が鮮やかなことに気が付きました。血痕の跡なら本来は黒ずんでいるはずです。よく見ると床材も新しいのです。上の写真を見てもお分かりのように、メアリーの部屋の床も新しいです。当時のものではありません。床板は上張りされていて、血痕は実際のものではなくて演出されていたものでした。
以前テレビで見た時には、本当に古い暗い暗い床だったように記憶しています。場所もちょっと違っていたように思います。本物を見られなくて残念でした。せめて、その部分だけガラス張りにして見えるようにしてもらえていたら、歴史をもっと感じられたと思います。
でもこの有名な殺人事件の現場に実際に訪れることができて、王室史好きな私としては感謝感激です。
他の見学者たちが、同部屋に展示されている宝飾品だけを見て部屋を去っていく中、私ともう一人の男性だけがこの現場をじーっと眺めていました😅

女王から反逆者に
さて、この夫ダーンリーですが、女王の夫としてはふさわしくない男性で、大変に評判の悪い人物でした。その彼ものちに殺害されました。
首謀者と疑われた人物は、女王の超側近ボズウェル伯でした。
そのボズウェルとメアリーは、直後に不可解な結婚をしました。一説によると、ボズウェルは無理やりメアリーを妻にしたといわれています。何故なら、ボズウェルはメアリーが息子に会いに行った帰り道、メアリーを誘拐し、その後1か月間自分の城でメアリーを監禁し、その後に結婚したからです。
ダーンリー殺害の容疑を掛けられた二人は、逮捕を逃れるために逃亡するしかありませんでした。ボズウェルは北の方に逃げ、やがて懸賞金をかけられました。最後はデンマークで捕まり、監獄の中で狂死しました。メアリーは自身の身の安全と保護を、いとこのイングランド女王エリザベス(1世)に求めました。

メアリーは国境を越え、イングランド内でエリザベスの保護・監視の対象となりました。保護というよりも、幽閉でした。その生活は19年間も続きました。
プロテスタントの国イングランドに幽閉されたカソリックのメアリーは、次第にイングランド内のカソリック信者の間でマーター(殉教者)化されるようになりました。長い間幽閉されたままのメアリーは、次第にカソリック信者の間で同情と人気を集めるようになっていたのです。
同じキリスト教でありながら、当時、カソリックとプロテスタントはお互いを異教徒とみなし、憎しみ合い殺しあうという危険な関係でした。(キリスト教がそういう宗教だったとは知りませんでしたよ。恐ろしや。。。)
身を潜めていたイングランドの有力カソリック信者たちが、エリザベス暗殺計画を練り始めました。
プロテスタントのエリザベスを暗殺し、カソリックのメアリーをイングランドの女王に置き換えようとしたのです。メアリーは実は、アン・ブリンの子で庶子とされたエリザベスよりもイングランドの王位を継承する正当性があったのです。
幽閉生活が長く続いたメアリーですが、決して女王復権(逃亡直後に退位させられ、1歳の息子ジェームス6世の王位継承に署名していた)を諦めていませんでした。そして、エリザベス暗殺計画に乗ってしまいました。(バビントン事件 The Babington Plot)
1週間に一度運ばれるビア樽のコルクをくり抜いたところに手紙を忍ばせ、バビントンたちとやり取りとしていたメアリーが、ついにエリザベス暗殺にGOサインを出しました。メアリー処分の機会を狙っていたエリザベスのスパイ網に、その証拠はすぐに押さえられました。(しかし、手紙のやり取りは続けさせ、プロットを実行する人物らの名前を書かせました。)
メアリーは裁判にかけられ反逆罪で処刑(斬首刑)されました。44歳でした。
エリザベスとメアリー
エリザベスとメアリーのこの話は、イギリスの王室の歴史の中でも、最もドラマチックな出来事の一つです。
スコットランド国内においても、歴史上一番有名な女性はこのメアリー クィーン・オブ・スコッツなのではないでしょうか。
2人のライバル関係や、この暗殺計画を描いた『メアリー クィーン・オブ・スコッツ』は、シアーシャ・ローナン&マーゴット・ロビーのW主演映画です。
日本だけは、「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」にタイトルが変更されているようです。(映画のタイトルを変えるのはやめて欲しいですね…。原題を探して多くの情報を得るのに時間がかかります。)
一方、エリザベスは、この女王メアリー処刑をきっかけに、当時ヨーロッパ最強でカソリック大国だったスペインを敵に回し、対戦することになってしまいます。
これが有名な「アルマーダの海戦」です。
しかし強運のエリザベスは、この大戦に勝利します。エリザベスは、その強運でもって数々の試練を乗り越え、やがてゴールデン・エイジと呼ばれる繁栄をイギリスにもたらしました。(逆にスペインは衰退していきました。)
エリザベスの有名な逸話の数々が描かれているのが、ケイト・ブランシェット主演映画「エリザベス~ザ・ゴールデン・エイジ(Elizabeth the Golden Age)」です。
実際にあったドラマチックな話ですから、本当に面白くて感動します。背景にある歴史を知ってから観ると面白さが倍増します。そう思いませんか?
是非この2つの映画、ご覧になってみてください♡
今回のエジンバラ旅行では、エジンバラ城とホリールード・ハウス宮殿を訪れて、イングランドとスコットランドの間に交差している歴史を、スコットランド側からも見ることが出来ました。
物足りなかった部分が補われました。とっても満足いく楽しい旅となりました♡
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★ホリールード・ハウス宮殿<Palace of holyroodhouse> Info.
Palace of Holyroodhouse (rct.uk)