「9日間の女王」ジェーン・グレイ|権力闘争に利用された悲劇の少女①|Jane Grey : The 9 Day Queen|サイオン・ハウス(Syon House)

史実とは異なっているが、ジェーン・グレイの処刑の場面を描いた有名な絵 出典はWikimedia Commons/Public Domain

このところ、サイオン・ハウス<Syon House>・シリーズでブログを書いています。リッチモンド宮殿やハンプトン・コート宮殿にほど近く、大物貴族の邸宅だったサイオン・ハウスは王室にまつわる歴史がいっぱい詰まったとても興味深い場所です。

ここには、イギリスの歴代の女王としてカウントされていない悲劇の女王の物語もあります。「9日間の女王」と呼ばれ、英国では有名なレディ・ジェーン・グレイ<Lady Jane Grey>です。彼女は、このサイオン・ハウスで大人の権力闘争に巻き込まれ、処刑台に散った悲劇の少女です。

突然のサイオン・ハウスへの召喚

©楓香 ロング・ギャラリー/サイオン・ハウス

彼女の悲劇は、このサイオン・ハウスのロング・ギャラリーで突然始まりました。

サイオン・ハウスは、ジェーンの義父ノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリー<John Dudley, The Duke of Northumberland>のロンドン邸でした。(現在でも、ここはノーサンバランド公爵のロンドン・ホーム)

この事件が起こる少し前、1553年の始めにジェーンはジョン・ダドリーの息子の一人ギルドフォード<Guildford>と結婚していたのです。ジョン・ダドリーからの申し出に、ジェーンは乗り気ではなかったのですが、有力貴族との縁談に喜んだジェーンの父が、暴力によって無理やりジェーンをギルドフォードと結婚させたのでした。ジェーン16歳、ギルドフォード18歳でした。

ジェーンは、チューダー王朝を創設したヘンリー7世の長女マーガレットの孫にあたります。

一方、ジョン・ダドリーは当時の国王エドワード6世(ヘンリー8世の息子)の宮廷で、エドワード6世の伯父エドワード・シーモア<Edward Seymour>を失脚させた後、最有力貴族となり、王に一番近い存在となっていました。

サイオン・ハウス所蔵の女性の肖像画 「ジェーン・グレイ」と言われている 出典はWikimedia Commons/Public Domain

ある日、ジェーンは義父のロンドン邸であるサイオン・ハウスに突然呼び出されました。

チューダー時代の移動手段は船。サイオン・ハウスの正面玄関も、当時は今と反対のテムズ河側にありました。着岸すると彼女は、すぐにこのロング・ギャラリーに通されました。

するとそこには何故か国王エドワード6世の諮問機関「枢密院」のメンバー達が揃い、彼女の到着を待っていたのです。

居並ぶ重鎮たちと何やら儀式的な雰囲気に困惑している彼女に向かって、義父のジョン・ダドリーが、エドワード6世の遺志によりジェーンが「女王」になることを伝えました。

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何の前触れもなく突然「女王になる」と告げられたジェーンは、ショックのあまり取り乱しました。エドワード6世(15歳)が亡くなったことも、この時初めて知らされました。

ジェーンが「女王になる」という言葉に驚愕したのは無理もないことでした。何故ならヘンリー8世の子供はエドワード6世の他に2人(メアリーとエリザベス)いたからです。そして、彼女たちには王位継承権があるのです。彼女らを差し置いて、自分が女王になることなどあり得ないことでした。

恐ろしくなったジェーンは自分は次期王位継承者ではないと必死に訴え、女王になることを拒否しました。しかし、エドワード6世の遺したDevise(考案書のようなもの)に自分の名前が書かれてあると説得されます。

エドワード6世のDevise 出典Wikimedia Commons/Public Domain

まだ16歳の少女が、ひとりで年配の枢密院の大人たちを相手に抵抗しても太刀打ちできるものではありませんでした。

義父ジョン・ダドリーの野心

ジョン・ダドリー(ノーサンバーランド公爵) 画像:Wikimedia Commons/Public Domain

ジェーンにとっては突然の出来事でしたが、義父ジョン・ダドリーは少し前からこの日のために隠密に計画を進めていました。

ジョン・ダドリーはエドワード6世が謎の病に侵され、回復の見込みがないと悟ると、ジェーンと歳の近い自分の三男を急ぎ彼女と結婚させたのです。ジョン・ダドリーはエドワード6世と二人きりでいることが多かったそうですが、半年後いよいよエドワード6世の死期が迫ったころ、エドワードはジェーンの名前を次期王位継承者としてDeviseに書き加えています。

ジェーンが女王になれば、自分の息子は国王になります。チューダーの時代、例え王家の血を引いていなくても、男性である国王の身分は女王よりも格上になりました。よって、王権は夫のものとなり、女王は国王に従わなければならなくなるのです。義父のジョン・ダドリーは、王座を乗っ取ったうえで、まだ若い息子に代わって、保護者や摂政として実質的な権力を握ろうと画策していたのです。

ジェーンは、そんな義父ジョン・ダドリーの野心に利用されて、半ば強制的に息子の妻に、そして女王にさせられたのでした。

もしもメアリーがカソリックでなかったら・・・

エドワード6世 画像:Wikimedia Commons/Public Domain

エドワード6世は、国のプロテスタント化を強力に推し進めていました。ところが、問題があり、余命短い彼の次の王位継承権者は異母姉メアリーで、彼女は非常に熱心なカソリック教徒だったのです。血縁者に男子がいない中、メアリーをスキップするための案をジョン・ダドリーから提案されると、死が間近に迫る中、エドワード6世自身もジェーン・グレイの名前をDeviseに書き加えることに同意せざるを得なかったのです。

カソリックのメアリーが女王になることを避けたかった枢密院も、ジェーンが王位継承順位1位でないこと(ジェーンは3位)を知りながら、リーダー、ジョン・ダドリーの「ジェーン女王案」を受け入れました。

もしメアリーがカソリックでなかったなら、あるいはプロテスタントのエリザベスがメアリーより年長であったなら、ジェーンが担ぎ出され悲惨な運命を辿ることはなかったのです。

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悲劇へのカウントダウンの始まり

©楓香  ロング・ギャラリー/サイオン・ハウス

枢密院のメンバーたちは、ショックで打ちのめされ苦悩するジェーンの姿に戸惑いながら、彼女に跪き忠誠を誓いました。

ジョン・ダドリーが枢密院のメンバーをサイオン・ハウスに召集しジェーンに忠誠を誓わせたことはすなわち、ジェーンの王位継承を公的に承認させたことになりました。

夫や家族がサイオン・ハウスに到着したころには全てが終わっていました。皆を招聘していながらも到着時間をずらし、枢密院メンバーをサイオン・ハウスに召集するなど、すべてがジョン・ダドリーの計画だったのではないでしょうか。

家族が到着すると、ジェーンはようやく落ち着きを取り戻すことができました。

ロンドン塔   ©楓香

しかし、用意周到な義父ジョン・ダドリーは、翌日早くもジェーンたちを戴冠式のためにロンドン塔のホワイト・タワーに移動させました。(通常戴冠式は、準備のため数週間から数か月後に行われるもの)

そして、その日以降、ジェーンと夫が戻ってくることはなかったのです。

\「9日間の女王」ジェーン・グレイ②ロンドン塔/⇩に続きます。

彼女の突然の死へのカウントダウンが始まったこのサイオン・ハウスのロング・ギャラリーには、残念ながら現在中世の面影は全く残っていません。でもチューダーの時代にはきっと、壁面は重いオーク製のパネルが貼られていたことでしょう。そのオークの壁の前にずらりと並んだ国の重鎮たちを前に、ジェーンはたった一人で抵抗しなければならなかったのです。

この長いロング・ギャラリーのどこがその舞台になったのだろうと想像したり、当時の玄関口テムズ河からどのくらい離れているのだろうかと窓の外を眺めたりしながら邸内を見学しました。この可愛くてプリティな現在のロング・ギャラリーと、頭で想像する当時の状況にはものすごいギャップがありました…。

ジェーンは望みもしない女王にさせられ若い命を犠牲にしました。最初に書いた通り、歴史上女王としてはカウントされていないのです。

エドワード6世➡(ジェーン・グレイ)➡メアリー1世➡エリザベス1世

やはり、ジェーンの王位継承は正当ではなかったからです。つくづく可哀そうな女性だと思います。

\「ロンドン塔」に連れていかれたジェーンたちのその後⇩/

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★サイオン・ハウス(Syon House)サイオン・パーク(syon park) Info.

☆エステート内に、ヒルトン・ホテル、トラウト・フィッシング、コンサーバトリー、ガーデン・センター、森林学校、カフェ&ショップなどいろいろ施設あり。

アドレス:London Road, Brentford, TW8 8JF, United Kingdom

 最寄り駅は、ロンドン市内を走るDistrict線Stamford Brook駅。そこから237番のバスに乗りBrent Leaで下車。そこから徒歩10分。

\サイオン・ハウスでの歴史的出来事/