①↑の続きです。
サイオン・ハウス<Syon House>>で唐突に女王になることを告げられたジェーン・グレイ<Jane Grey>らは、翌日には早くも戴冠式の準備のためにロンドン塔へ連れていかれました。
義父ジョン・ダドリーは、メアリー(エドワード6世の姉でヘンリー8世の長女、王位継承順位1位)に気付かれないうちに、一刻も早く息子の嫁ジェーンを正式な女王にしたかったのです…。
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ジェーンのせめてもの抵抗?

ロンドン塔は、監獄でもありますが頑丈な城壁に囲まれた王宮でもあります。国王・女王たちは戴冠式の前にロンドン塔のホワイト・タワーで過ごすというのが当時の慣習でした。
ロンドン塔のHPによると、ジェーン・グレイたち一行はライオンズ・ゲートからロンドン塔入りしたそうです。
戴冠式は衣装の準備や式の手配などがあるため、王位を継承しても戴冠式は数週間から数か月先に行われることが通常です。義父ジョン・ダドリー <John Dadley>が一刻も早く戴冠式を済ませ、ジェーンが女王となった既成事実を作ろうと準備していたことが想像できます。ジェーンと夫ギルドフォード <Guildford>には豪華な戴冠式の衣装が、2人の知らないうちに準備されていたのです。
義父ジョン・ダドリーの思い通りに事が進んでいくかのように思われました。
ところがジェーンがまたしても即位を拒否しました。
戴冠式で息子ギルドフォードが女王の夫として王(King)となれば、すべては義父ジョン・ダドリーの計画通りだったはずですが、ジェーンは夫を王(King)にはしませんでした。夫ギルドフォードの王冠のご用意は、どういたしましょう?と問われたジェーンは、その必要はないと答えたのです。
夫の国王への即位については枢密院の承認がいるとして、夫ギルドフォードにはクラレンス公爵<The Duke of Clarence>という爵位を与えるにとどめました。ギルドフォードの母は激怒したと言われています。ここで夫を国王にすれば、その瞬間自分には何の力もなくなってしまいます。王家の血筋として教育を受けているジェーンの知恵が発揮されたと言ってもいいでしょう。
本命メアリーの反撃

ジョン・ダドリーらの行動に気付くと、本来王位継承権のあるメアリーは黙っていませんでした。
メアリーは、兵を集め反撃に出る準備をしました。
メアリーに気付かれたジェーンは、女王としてそれに対抗しなければならない立場になり、仕方なく自身の父を軍の司令官に任命しました。しかし、実戦経験の全くない父は恐れをなし体調を崩して寝込んでしまいました。代わりにジョン・ダドリーが出兵することになりました。彼はロンドンを離れることに一抹の不安を抱えながら、メアリー征伐に向かいました。
メアリーの軍勢は、メアリーこそ正当な王位継承者だと信じる貴族たちが加わって、次第に大きくなっていきました。ジョン・ダドリーがメアリーの海からの逃亡を防ぐために待機させておいた海上の戦艦3隻のうち2隻は、メアリー側に寝返り上陸してしまいました。ジョン・ダドリーは、優れた軍人でもありましたが、メアリー側の兵力の予想外の大きさに圧倒され、戦わずして撤退せざるを得ませんでした。
その頃、不穏な空気を察した枢密院は、ジョン・ダドリーがロンドンに戻ってくるより前に、メアリーの王位継承を承認する親書をメアリーに送り寝返りました。今や誰の目にもメアリー優勢は明らかだったのです。
形勢不利を察知し恐怖に陥った人々が、一人また一人とロンドン塔からひっそり逃げ出していきました。その中にはジェーンの両親も含まれていました。最後に残ったのは、ジェーンと彼女の夫ギルドフォード、それにジョン・ダドリーの3人だけでした。
メアリーがロンドンに到着すると、首謀者ジョン・ダドリーはただちに処刑されました。ジェーンと夫のギルドフォードは、メアリーによってロンドン塔に軟禁されることとなりました。
プロテスタントのジェーンを生かしてはおけない
1553年7月9日、ジェーンが義父ジョン・ダドリーにサイオン・ハウスに呼び出され、女王になることを告げられてから10日経った7月19日、メアリーが正式に「メアリー1世」として即位しました。
ジェーンはこの間の9日間の女王として記憶されることになったのです。しかし、①でも書きましたが、正式な女王としてはカウントされていません。

ブラッディ・メアリー<Bloody Mary(血に汚れたメアリー)>(同名カクテルの語源)と言われ、プロテスタント教徒を大量に火炙りにて処刑したメアリー1世ですが、ジェーンと夫のギルドフォードには寛容でした。まだ10代のこの二人が陰謀を画策したのではないことを承知していたからです。その上、ジェーンは王家の血を引いた数少ない血縁者のひとりでした。
ジェーンは、囚人ではありますが、数人の侍女や召使(男性)をあてがわれ、ロンドン塔の中で比較的自由に過ごすことが許されました。その年の11月に裁判が行われ、二人とも国家反逆罪で死刑宣告されましたが、メアリーはふたりの処刑を許可しませんでした。
そんな中、運の悪いことに、次年に起こったプロテスタント教徒ワイアットらによるワイアットの反乱<Wyatt’s Rebellion>に、ジェーンの父が関わっていたことが発覚したのです。ジェーンの父は特別に恩赦され処刑を逃れた身です。ジェーンを王位に就かせようと意図したものではなかったと言われていますが、この愚かな父の行動によってジェーンは厳しい立場に立たされることになりました。
やはり、異教のジェーンはメアリーにとって脅威だということを決定づけた事件でした。
メアリーはジェーンを救うべく、カソリックに改宗するよう何度も進言しましたが、メアリーは信念からこの申し出を拒否しました。ジェーンを守り切れなくなったメアリーは、とうとうジェーンを処刑せざるを得なくなりました。
3か月後の1554年2月12日、夫ギルドフォードがタワーヒルで処刑されました。ジェーンは、部屋の窓から夫の頭のない遺体がロンドン塔内のチャペルに運ばれていくのを見ていたと言われています。トレイター<反逆者>として斬首されたギルドフォードの首は、ロンドン橋の南の入口の門の上に串刺しにされました。(タワーヒル:ロンドン塔の向かいにある公園の中に処刑場所跡がある。)
1時間後に、今度はジェーンがタワー・グリーン(ロンドン塔のチャペル前 実際にはWaterloo Barracks前?)で処刑されました。ジェーンは、夫やロンドン塔で処刑された女王たち(アン・ブリン Anne Boleyn とキャサリン・ハワード Catherine Howard)と共に、ロンドン塔内のチャペルの祭壇の下に埋葬されました。

St. Peter ad Vincula in Tower of London ©楓香
処刑された当時、ジェーンはまだ17歳でした。
義父ジョン・ダドリーのことを聞かれた彼女は「彼の行き過ぎた野心によって、私は最もみじめな災難と悲惨な状態に引き込まれてしまった。」と語ったそうです。
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★ロンドン塔<Tower of london>
HP: Tower of London | Historic Royal Palaces (hrp.org.uk)