コベント・ガーデンを造ったベッドフォード公爵と国王のエピソード|King StreetとHenrietta Street

マーカーで一部がハイライトされた地図

|貿易商人から大貴族へ

ベッドフォード公爵家の初代ジョン・ラッセル/Wikimedia Commons Public domain

|マーケットにあるベッドフォード公爵家の紋章とモットー

コベント・ガーデンのマーケットの入口の壁面に、ベッドフォード公爵家の紋章が付いています。

地区の教会であるセント・ポール教会の門の上にも、公爵家の紋章が掲げられています。

紋章の下にリボンが付いていますが、ここにはラッセル家のモットーが書かれています。

Che sera seraChe (ケ・セラ・セラ)(=なるようになるさ)

なるほど。

元々商人ですから、貴族になっただけでも大儲け。流れに任せよう!ということですね。

|時は国王チャールズ1世の時代

第4代ベッドフォード伯爵フランシス・ラッセル 画像:Wikimedia commons/public domain

それから7-80年ほど経って、第4代ベッドフォード伯爵だったフランシス・ラッセルは、所有しているコベント・ガーデンの土地を再開発することにしました。

|コベント・ガーデンのオアシス「セント・ポール教会」

撮影:楓香  コベント・ガーデンにあるSt. Paul Church(セント・ポール教会)

|コベントガーデン周辺の通りには公爵家の名前

コベントガーデンの地図

所有地を開発したベッドフォード公爵家の名前も、もちろん付いています。

因みに、King Streetの一本向こう側の隣りには、一時期コベントガーデンが花市場だったことから「Floral street」という名前になっています。

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🫖おまけのベッドフォード公爵家エピソード/アフタヌーン・ティ🫖

アフタヌーン・ティの習慣を作ったのもベッドフォード公爵家❣

フォートナム&メイソンのアフタヌーン・ティ
©Fortnum &Mason アフタヌーン・ティ

今やイギリスの大集金マシーンとなった?アフタヌーン・ティというティ文化。これを作ったのも、ベッドフォード公爵家一族です。

ビクトリア時代、産業革命で国が富み、社会が近代化するにつれて人々は忙しくなり、晩餐の時間がどんどん遅くなっていきました。

第7代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセルの夫人アンナ・マリア・ラッセルは、夕方にはお腹が空いて気分も沈みがちになっていました。そこで、ランチとディナーの間に紅茶と軽食(パンとケーキなど)を自分の部屋に運ばせ、空腹を満たすようにしました。

アンナ・マリア・ラッセルは、ビクトリア女王の侍女でした。やがて彼女のアフタヌーン・ティの習慣は、宮廷の貴族階級の間に広まりました。

アフタヌーン・ティの誕生です。1840年頃のことでした。

やがてパンがサンドウィッチになりスコーンも加わって3段の専用プレートで提供されるようになりました。

\ベッドフォード公爵家の最初の家↓/