中世のチューダー朝(1500年代)の王室のエピソードがいっぱい詰まったバッキンガム・シャーにあるマナー・ハウス「チェニーズ・マナー・ハウス(Chenies Manor House)」にこの秋行ってきました!
チェニーズ・マナー・ハウスはチェニー家が1460年に荘園として建てたチューダー様式の建物です。歴史的・建築的にも国の重要な建物であることから、イギリスのGrade Ⅰ listed building として保全・保護の対象にもなっています。
Contents :
1526年ラッセル家(のちの大貴族)の手に渡る

チェニーズ・マナー・ハウスは、代々大地主チェニー家のお屋敷でした。
1526年、ジョン・ラッセル(John Russell)がチェニーズ・マナー・ハウスの女相続人と結婚すると、この屋敷はラッセル家に渡りました。
ジョン・ラッセルは元々貿易の仕事をしていた人物で外国語を話すことができました。国王ヘンリー7世は彼を宮廷に呼び寄せ、召使として働くことになりました。
才覚のあったジョン・ラッセルは、実力主義のチューダー朝時代にどんどん出世していきました。ヘンリー8世の時代には、ついに伯爵(Earl)の爵位を与えられました。初代ベッドフォード伯爵(1st Earl of Bedford)の誕生です。
彼は、チューダー朝時代のヘンリー7世➡ヘンリー8世➡エドワード6世の親子3代に渡り側近としてとして歴代王たちに仕える重鎮に上り詰めました。頭の良さもありますが、きっと権力者に気に入られるタイプの人物だったのでしょう。
チェニーズ・マナー・ハウスは、1954年に現在の所有者に変わるまで420年間以上、ラッセル家が所有し続けました。
エリザベス1世女王御一行様長期ご滞在で破産寸前…

チェニーズ・マナー・ハウスはツアー・ガイド付きで見学することが出来ます。
ガイドの話によると、チューダー時代の王ヘンリー8世(Henry Ⅷ)とその娘エリザベス1世(Elizabeth Ⅰ)は、家臣のラッセル家の屋敷であるチェニーズ・マナー・ハウスが気に入り、幾度となく訪れていたそうです。
君主の訪問は大変名誉なことですが、彼らは毎回数百人から千人の家来を引き連れてやってくるので、彼らの宿泊と食事の世話などで、かなりの出費になったそうです。
おもてなしと屋敷が気に入れば滞在を延長することもあり、1570年7月には、エリザベス1世が4週間も滞在したという記録が残っているそうです。
連日の大出費で破産寸前になった当時のラッセル家の当主2代目ベッドフォード伯爵フランシス・ラッセルは、エリザベス1世に何とか次の機会には他の屋敷を訪ねてくれるよう懇願したのだとか…。(そして彼は大借金を残して亡くなった...)
エリザベス1世がチェニーズ・マナー・ハウスを頻繁に訪れた理由

ヘンリー8世には6人の妻がいたことで有名ですが、1534年には2番目の妻アン・ブリン(Anne Boleyn)と二人の間の娘エリザベス(のちのエリザベス1世)を連れて、チェニーズ・マナー・ハウスを訪れた記録が残っているそうです。
しかしながら、エリザベスの母アン・ブリンとヘンリーの結婚期間は短く、3年経った頃、男児を産まないアンはヘンリーにとって邪魔になり、でっち上げられた姦通や近親相姦などの罪で有罪判決となり、処刑(打ち首)されてしまいました。


母アン・ブリンが処刑された当時、エリザベスはまだ2歳半でした。母親の記憶もチェニーズ・マナー・ハウスの記憶もないかもしれませんが、短い結婚期間に家族3人で訪れたこのチェニーズ・マナー・ハウスをエリザベスが頻繁に訪れたのは、母親の痕跡を訪ねたかったからかもしれません。
彼女がTraiter(反逆者)で処刑された母アン・ブリンのことを話すことは滅多になかったそうですが、亡き母親の面影をずっと追いつづけていて、母アン・ブリンの姿と自分の姿がロケットの中に納まっている指輪を肌身離さず身に着けていたそうです。(この指輪はハンプトン・コート宮殿で展示中。)

10代の妻の悲劇

ヘンリーは2番目の妻アン・ブリンを処刑後、もう二人の妻を経て5番目となる17歳のキャサリン・ハワード(Catherine Howard)と結婚しました。
ガイドの話によると、1541年に2人はこのチェニーズ・マナー・ハウスを訪れたそうです。まだ10代だったキャサリンは、50代の役立たずで臭い夫(油ギッシュな巨漢から発せられる体臭+大きな傷口が膿んで悪臭を放つ脚)ヘンリー8世のインナー・サークルの中にいた若くてハンサムな男性トーマス・カルペパー(Thomas Culpeper)に恋をしました。自然ですね。そしてこのチェニーズ・マナー・ハウスの中の隠れ家のような小さな部屋で若い二人は密会したのだそうです。
後にハンプトン・コート宮殿のチャペルでメモを渡され、そのことを知ったヘンリー8世は怒り狂い、キャサリンをアン・ブリンと同じように処刑(打ち首)してしまいました。
それ以来この屋敷では、キャサリンが不貞を働いたと思われる日になると、階段をドスンドスンと上がってくる人の足音が聞こえるのだそうです…。
お前の不貞はどうなんだ…。
ラッセル家が先祖代々埋葬されているチャペル

1954年にラッセル家の所有ではなくなったチェニーズ・マナー・ハウスですが、門の右手前にある教区教会聖ミカエルの中のベッドフォード・チャペル(Bedford Chapel)は、今でもラッセル家のプライベート・チャペルのままです。

初代ベッドフォード伯爵からずっとラッセル家は、亡くなるとこのプライベート・チャペルに埋葬されるのだそうです。
ラッセル家の領地と現在の住まい
ラッセル家はその後栄枯盛衰ありましたが爵位を維持し、スチュアート朝時代にはベッドフォード公爵(Duke of Bedford)となりました。貴族の中では最高位です。
ベッドフォード公爵の領地であるチェニーズの村には、ベッドフォード公爵の所有であることを示す王冠にBの文字のついた住宅が多数見られます。




ラッセル家はチューダー朝が終わってほどなくしてここチェニーズを離れ(1608年)ました。ベッドフォード・シャーのWoburn Abbey に移り、それ以降ここには住んでいないそうです。

ラッセル家の所有していた土地は、ここの他にロンドンのブルームスベリー(Bloomsbury)(大英博物館周辺)とコベント・ガーデン(Covent Garden)などがあります。だから、何を隠そうコベント・ガーデンを作ったのはこのベッドフォード公爵なのです!
そういう訳で、コベント・ガーデンの建物にはこのベッドフォード公爵の紋章が付いています。敷地内の教会の入口のゲートにも同じ紋章が付いています。
因みにその教会のゲートに面した通りはベッドフォート通り(Bedford Street)、反対側の通りはラッセル通り(Russel Street)、とラッセル家に因んだ名前が付けられています。
夢のようなイングリッシュ・ガーデン

現在の所有者はここに居住しているので、ガイドツアー中建物内部の写真は禁止されていましたが、お庭の写真はOKでした。
お屋敷のツアー中、どの部屋の窓から見えるお庭も心奪われる夢のような美しさでした。部屋からの見え方は完璧に計算されているように思います。写真に残せないのは本当に残念です。
お庭に出ると、ピンクのダリアが咲き誇る、手入れの行き届いたとっても美しい光景を目にすることが出来ました。正にイングリッシュ・ガーデンという感じです。

右に見えるのは、カフェとショップです。スコーンが美味しいのが有名だそうで、買って帰りましたが、お持ち帰りではその美味しさがイマイチわかりませんでした…。美味しさの秘密は、生地にシャンパンを入れ込んでいるとか何とか…。
来年の春以降ハウスがオープンしたら、また絶対に行きたいと思っています!何人かいるガイドさんは、人によって話す内容が様々だそうですから、違うお話が聴けたらいいですね♡
英国史で一番面白いチューダーという時代
チューダー朝時代のヘンリー8世と6人の妻の物語が面白すぎる私の一押しドラマ・シリーズ「ザ・チューダーズ(The Tudors)」(Showtime オリジナル)。
ヨーロッパ1と言われたスポーツ万能でハンサムな国王ヘンリー8世と6人の妻たちとの愛憎劇が描かれた歴史ドラマ。
ドラマチックな展開は、観るのを止められなくなります!超面白いです!
英国史で一番面白いとされるチューダー王朝時代の様子が手に取るようにわかるドラマです。
ナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソンがブリン姉妹を演じている「The Other Boleyn Girl」もおススメです。
こちらは、ヘンリー8世の2番目の妻アン・ブリン(Anne Boleyn)とアンの姉でヘンリーの愛人だったメアリーのブリン姉妹に焦点を当てた映画です。
姉メアリーがヘンリーにあっさり捨てられた様を見て、妹アン・ブリンは王妃を目指したのですね。
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★チェニーズ・マナー・ハウス Chenies manor house &Gardens info.
HP:https://www.cheniesmanorhouse.co.uk/
☆4月から10月まで毎週月・火曜日オープン
☆マナー・ハウス内は、ガイド・ツアーでのみ入場可能です。
☆ロンドン市内からはメトロポリタン線(Metropolitan Line)やチルターン鉄道(Chiltern Railways)などでChalfront &Latimer駅まで行き、そこからは駅前のタクシーで移動できます(5分ほど)。