著名人・有名人とゆかりのある建物を示すブルー・プラーク(Blue Plaque)のついたお宅巡りをしたかったので、今回のロンドン散歩💚ではチェルシー界隈を歩いています。
テムズ川に面したチェルシー地区は、チューダー朝(16c)やスチュアート朝(17c)の時代には王侯貴族の遊び場でした。

ビクトリア時代以降は、文筆家やアーティストに人気のエリアになりました。なのでブルー・プラークのついた建物がたくさんあるのです。
誰でも知っている有名人たちがどんなお宅に住んでいたのか、興味津々、ワクワクで歩きました♡もちろん、寄り道もいろいろしています。
Contents :
個性豊かな建物が見られるGlebe Place

King’s Road から延びるGlebe Place という通りに、2つブルー・プラークのついた住宅があります。通りに入ると、ターナー・スタジオ(Turner Studio)というスタジオがありました。えっ、こんなところにスタジオが?!と少し驚きです。
Turner Studio と聞いて、先頃£20札の顔となった、イギリス人が一番好きな画家 J.W.Turnerを思い出しました。Turner は、晩年このすぐそばのCheyne Walk に暮らしていて、ゆかりがあるからです。名前を拝借したのかな?と思いましたが、もちろん全然関係ない可能性もあります。

そのターナー・スタジオのすぐ隣りに、ブルー・プラークが2つついた建物がありました。
1つは、Royal Academyの会長だったSir Alfred Munning という人のもの、もうひとつは彫刻家のMcMillan という人のものでした。あらら、どちらも存じていません…。

同じ並びに素敵なビクトリア調のお宅があったので、写真に撮らせていただきました。いかにも”イギリス”な感じの煉瓦の建物です。赤と黄色のレンガを使ってデザインされている外壁がオシャレです。
窓を二つレンガでつぶしていますね。窓の数で税金が上下していた時代につぶしたものでしょうか。かつて馬車を入れたであろうガレージもあったりして、少しHistoricな感じのする素敵なお家でした。

Glebe Place の突き当りには、緑に覆われた雰囲気のある建物がありまし。よくよく建物を見てみると、とってもお洒落な建物です。ちょっと緑(ツタ?アイビー?)に覆われ過ぎて、素敵な壁面が隠れているのが凄ーくもったいないです。ホントに…。蔦繁殖し過ぎ。
玄関横の地番を書いた台の上には、お人形の彫刻がちょこんと乗っています。こんなの見たことありません。うしろの建物のデザインや雰囲気とよく調和していて、メルヘンチックで可愛いです。

最初は目に入らなかったのですが、そのお隣りにあるお宅もおとぎ話に出てくるようなメルヘンチックな建物でした。素朴な森の中のお家のような建物ですね。いつ頃からここに建っているものなのでしょう。
何やらお知らせボードのようなものがあったので近寄ってみると、Chelsea Open Air Nursery School と書いてありました。保育園です。こんな保育園に通ったら、大人になって思い出した時、きっとほっこりすると思いますね。
私が通った幼稚園も少し特徴があって、シンプルですがお城のような形の建物でした。塔もあって赤い屋根の園舎が大好きでした。良い思い出になっています。
Danvers Street
|Gavin Maxwell、Henry Watson Fowler

King’s Road に戻って、次にDanvers Street でまた左折しました。
通りに入ると早速、Gavin Maxwell という人のブルー・プラークがありました。ナチュラリストで作家さんだったようです。

すぐそばには、Henry Watson Fowler という文法学者で辞書編集者だった人のブルー・プラークもありました。
|人類の救世主はここに住んでいた!アレキサンダー・フレミング

通りの反対側には、「ペニシリン」を発見した細菌学者アレキサンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming )のブルー・プラークがありました!
ペニシリンの発見は20世紀最大の医学的発見と言われた大偉業です。ペニシリンを発見したアレキサンダー・フレミングは、まさしく人類の救世主ですよ!!
ペニシリンは、当時不治の病とされた肺炎や破傷風などの伝染病を、あっという間に治した夢の治療薬です。1928年に発見されると、衛生状態の良くない戦地で負傷した多くの兵士が命を救われました。
このペニシリン、原料はなんと「アオカビ」だったそうです!「ペニシリン」という薬名はアオカビの属名「ペニシリウム」から名付けられたそうです。へぇ~、ですよね。カビ自体は人体に被害を及ぼすものなので、わかるようなわからないような、、、でもとにかく驚きです。
私も子供の頃、破傷風になりかけたことがあります。いや、親がそう騒いでいただけかもしれませんが。でも、もし破傷風になっていたら、この薬で死なずに済んでいたわけですよね。治療薬があるって有り難いですね。

チェルシーのセレブリティ通り「Cheyne Walk」

Danvers Street を進むとテムズ川沿いの古い道 Cheyne Walk(チェイニー・ウォーク)に至ります。(ここが今回最も歩きたかったところです!!)
Cheyne という名前は、1600年代にこのあたり一帯の大地主だったファミリーの名前だそうです。つまり、チェイニー家。
チェルシーはもっと古い1500年代のチューダー朝の時から、王侯貴族の屋敷がありましたが、特にこのテムズ川沿いの土地は、ヘンリー8世がマナー・ハウスを所有したこともあるというプレステージなエリアでした。
ビクトリア時代以降は、芸術家や文筆家が多く集まるエリアとなりました。
そんなことから、現代では「Cheyne Walk に住所がある」ということが、1つのステータスになっています。かつて、ミック・ジャガーさんがここに家を購入していましたが、そんな理由からに違いないですね。
あのリチャード3世もかつてのオーナー「Crosby Hall」

こんなところで、「リチャード3世」の名前が出てくるとは!
歩いてきたDanvers StreetとCheyne Walkが交わるところにあるのが、「Crosby Hall(クロスビー・ホール、現Crosby Moran Hall)」です。1466年に建てられたチューダー様式の歴史的建造物(一部)が、BishopgateからこのCheyne Walk に移築されました。
このCrosby Hall の歴代オーナーが凄くてビックリです!
あのリチャード3世(Richard Ⅲ)が、1480年頃にロンドンでの居住用にとオーナーのCrosby 家から買い取っています。
そしてなんと使用していた時期が、ちょうど前国王エドワード4世の死後、彼の二人の息子(王位継承者とそのスペア)をロンドン塔に幽閉した時期と同じ頃だそうです。

私は知りませんでしたが、シェイクスピア(W. Shakespeare)の演劇「リチャード3世」で、このCrosby Hall が王子殺害の陰謀の舞台として出てくるそうです。
偶然にもシェイクスピアの当時の自宅が、Bishopgate にあったこのCrosby Hall の近くだったのだそうです。
このリチャード3世をボスワースの戦いで倒し、国王となったのがヘンリー7世(Henry Ⅶ)です。あのヘンリー8世の父王です。
彼は長男のアーサー王子がスペインの王女キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon)と結婚するとき、イギリスにやってきた王女一行をこのCrosby Hallでもてなしたそうです。
ヘンリー8世(Henry Ⅷ)の時代には、彼のメンターであり、大法官であったトーマス・モア(Thomas More)が一時期このCrosby Hall を所有していたことがあるそうです。
エリザベス1世の時代には、アルマーダの海戦でスペインの連合艦隊を破る大活躍をしたウォルター・ラリー(Sir Walter Raleigh)が一時期ここに住んでいました。
ちなみに、前述のキャサリン・オブ・アラゴンは、結婚したアーサーとはすぐに死別して未亡人になってしまいました。義父のヘンリー7世がキャサリンの持参金が惜しく、彼女をスペインに戻しませんでした。自分が彼女と再婚しようとさえしました。しかし、結局はキャサリンに恋していたヘンリー8世と再婚してイングランド王妃になりました。
ヘンリー8世と最初の妻から6番目の妻までの愛憎劇を描いたチューダー朝時代の宮廷ドラマ・シリーズ「ザ・チューダーズ(The Tudors)」です。面白すぎて一気に観てしまいます!
お薦めです☆
The Tudors (TV Series 2007–2010) – IMDb (←全シリーズの photos and videos)
トーマス・モア、スローン卿ゆかりのChelsea Old Church

Cheyne Walk を東へ少し歩くと、チェルシーで最も古い教会Chelsea Old Church があります。
教会の前の通りはチェルシーで最も古い道といわれる Old Church Street(①でご紹介のBritish Red Cross のチャリティ・ショップのある通り。)
そして、上の写真の左手前の角ある大きなモニュメントがハンス・スローン卿が埋葬(1753年)されているお墓です。
チェルシーを代表する著名人ハンス・スローン卿ですが、偉人としてウェストミンスターに埋葬されるのではなく、愛着のあるチェルシーに骨を埋めたんですね。
かつてはヘンリー8世のメンター➡死刑 トーマス・モア

1500年代のチューダー朝時代、トーマス・モアはこの教会にプライベートなチャペルを所有していました。彼の最初の妻ジェーンはこの教会の中の立派な墓石の下に埋葬されています。
でも彼自身はここには埋葬されていません。
敬虔なカソリック教徒である彼はヘンリー8世の離婚のためのイギリス国教会(プロテスタント)設立に同意しなかったため、ロンドン塔(Tower of London)に投獄され、反逆罪でタワー・ヒル(Tower Hill)で処刑(斬首)されました。そして、遺体(首から下)はロンドン塔内の教会の床下に埋葬されました。
斬首刑の後、切り離された頭部はロンドン橋に串刺しにされ、放置されました。その後、最終的に頭部がどこに埋葬されたのか、はっきりとはわかっていないそうです。
私がトーマス・モアに関して覚えていたのは「ユートピア(Utopia)」を書いたことぐらいだったのですが、イギリスに来て王室の歴史に興味を持つようになると、彼についてもいろんなことを知りました。
「世界史」として一括りで学ぶと面白いと思わなかったイギリスの歴史ですが、今は背後にあるストーリーがわかり始めてとても面白いと感じています。
20ポンド札の顔 ウィリアム・ターナー(J.M.W. Turner)


さて、ブルー・プラークの情報がなかったことで場所がわからず、見落としていたのですが、このブログを書いている最中にターナーの住んでいた家がCheyne Walk にあることがわかりました。(コベント・ガーデンの家は知っていたのですが…)
なので行ってはいないのですが、いろいろ面白いエピソードもあるので、書き残しておきたいと思います。

晩年のターナーが、家の屋上からテムズ川を眺めて絵を描いていたのは有名な話。屋上に上がれるよう、改築したそうです。屋上に手すりが見えますね。
彼はここで亡くなりました。死因はコレラだそうです。
|イギリス人の一番好きな絵?

ナショナル・ギャラリー(National Gallery)にあるターナーの描いたこの「The Fighting Temeraire」は、イギリス人が一番好きな絵だとも言われています。
映画「007 SkyFall」をご覧になると、新Qはダニエル・クレイグ(Daniel Craig)演じるジェイムス・ボンド(James Bond)に、この絵の前を待ち合わせ場所に指定しました。
つまり、とてもイギリスを代表する絵のひとつということですね。
この家が今年の初めに約20億4,843万円(執筆当時)で売り出されていたようです。ここには、James Bond の生みの親イアン・フレミング(Ian Fleming)の母も住んでいたことがあります。それにしても、こんな小さな家に対してえげつない価格の吊り上がり方ですね。
Mail Online に家の中の写真が載っていました。とても個性的でエキゾチックなインテリアになっているようです。⇩
お天気の良い日にまたCheyne Walk へ行って、このTurner の晩年の家を実際に見たいと思っています。
Cheyne Walk でのブルー・プラーク巡り、まだまだ続きます。つづきは③で。